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ボツワナで感じたこと

初の海外旅行は、ヨハネスブルグで空港職員にカツアゲにあいそうになるというショッキングな事件を皮切りに、初体験の連続であった。

改めて思うが、初めての旅先がボツワナで本当に良かった。アフリカのイメージを良い意味で裏切られたし、それが一つの原体験になっている。アフリカといえば貧しく治安が悪く犯罪がそこいらで起こっている、と思っていたが、それはステレオタイプでしかない。ことボツワナに来てみれば、危険を感じることは全くなく、人はみな大らかで無邪気で悪意を感じない。
自分で見て聞いて経験する、ということで実際に知れることが多くあるのだ。

日本人が珍しいというのはあるのだろうけど、教えてもらったボツワナの言葉で挨拶すると、みんな喜んで笑顔を向けてくれる。そういう無邪気さが何だか新鮮だったりもする。
これもまた自分にとっての原体験で、海外旅行へ行く際は必ず現地の言葉で挨拶をしている。するとコミュニケーションをスムーズに始められることが多いように思う。

ボツワナの人は大らか

 

この旅行の中で、夜のキャンプファイヤーでした各国メンバーとの交流。英語でコミュニケーションがうまくいかないもどかしさ、あるいはコミュニケーションに対して物怖じしてしまう自分の癖。
あるいはあらゆる場面で見られる”違い”であったり、違いの中でも国に関係なく共通する”人間性”であったり。
例えば、道端で出会って一緒に歩いたこの男の子。知らない外国人に話しかけられてカメラを向けられたとき、日本ではどういう反応をされるだろう。
恥ずかしがって逃げるか、不審者扱いとして逃げられるか、周りに不審者扱いされるか。それとも単に笑顔を向けてくれるだろうか。

学校の帰り道の男の子

 

旅人には笑顔を向ける、かもなぁ。大人であっても子供であっても、そういう人はいる。日本にも。そして怪訝な顔を向ける人も、いる。

何が言いたいかというと、あれこれ考えたり邪推したりすることなく、単に素朴に感情を向ける、ということ。そしてボツワナでは、向けられる感情が好意的なものが多かった、ということ。人と接することが普通で警戒することなく関わり合えるのかもしれない。
そうした、人として普通でいられる、そいういう素朴さというのが当時感じたことであり、いま振り返っても思うことだったりする。
ボツワナで感じたその感覚は、当然経済的豊かさであったりしっかりした社会インフラであったり、人々の安心という基盤の上に成り立っている部分はあるだろうが、その素朴さが心地良いものだった。そういうことを、今思い出している。

自分の思考に向き合おう

日々忙しく過ごしていると、なかなか自分のことや今後のことを考える時間が持てない。そんなことありませんか?
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もし、そんな状況にあるのなら、ちょっとだけ立ち止まって考える時間を作ってみませんか。
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一緒にその時間を作って見ませんか?

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